摩擦・摩耗・潤滑など、相対運動を行いながら
相互作用を及ぼし合う表面、
およびそれに関連する
実際問題についての
科学( 物理学・材料科学・応用力学)と技術。
軸受には、
「摩擦を減らす」「摩耗を減らす」「焼付防止」という、3つの性能が求められます。
軸受には、大きく分けて「すべり軸受」と
「ころがり軸受」の2つの種類があります。
大同メタル工業は、「すべり軸受」を
専門的に取り扱うメーカーです。
自動車
1台の乗用車にはエンジンをはじめ、ステアリングやコンプレッサー、シートなど、約30種100個以上のすべり軸受が使用されています。
船舶
大型船エンジンや中高速ディーゼルエンジン、低速エンジンなどに使用されています。
タービン
建設機械
新幹線
風車
レース用
トラック
自転車
ジェットコースター
介護用ベッド
橋
屋根開閉ドーム
ダム
名古屋を、デトロイトのような
自動車工業の拠点に。
大同メタル工業の創業者は、川越庸一。
川越は、学生時代より自動車に大きな興味を持っており、卒業後は単身渡米し、デトロイトで自動車製造技術を習得しました。そして帰国後は、昭和自動車のサービス部長を務めていました。
そのころ、当時の大岩勇夫名古屋市長が中心となって、名古屋をデトロイトのような自動車工業の拠点とすることを目指した「中京デトロイト構想」が提唱されるなど、国産自動車開発の機運が高まっていました。
豊田式織機(現、豊和工業株式会社。トヨタグループの創始者である豊田佐吉の個人経営だった豊田商会を受け継いで1907年に設立)も、国産自動車開発に挑もうと、1931年、社内に自動車部を設置。その初代部長として招かれたのが、川越庸一でした。
そして、1933年に自動車を製造するための新工場を建設。1934年から自動車製造が本格的にスタートし、翌年1935年には、川越の設計によるバス「キソコーチ号」が完成したのです。この「キソコーチ号」の完成は、日本の自動車産業の黎明期における、ひとつのエポックメイキングな出来事でした。
また、1937年には、同じ名古屋にあった岡本工業が、陸軍の要請により小型四輪駆動車「岡本号」を製造していますが、この設計を手掛けたのも川越でした。
川越の高い志は、
今も大同メタル工業に。
そしてその後、川越は豊田式織機を離れ、日本には良い軸受がないため、世界と勝負できる日本製の軸受をつくろうと、大同電気製鋼所の下出義雄社長の支援を受けて、1939年に大同メタル工業を設立したのです。
このように、大同メタル工業の創業者川越は、日本の自動車産業の発展に大きく関わった人物でした。
こうした、川越のものづくりへの高い志は、今も大同メタル工業に脈々と受け継がれています。